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北海道農業者サロンとは

北海道農業者サロンは、1982年(昭和57年)に組織された新農政研究所・北海道、及び後続の武田新農研・北海道1を改組再編し、1988年(昭和63年)6月に新しい農業確立の担い手を意識する農業者と、支援する周辺の人たちによって立ち上がった組織です。

新農研期は「日本の農業をどうするのか、どの道を選ぶか」といった論議に終始した時期で、総合研究開発機構(NIRA)による「日本農業自立戦略の研究」の発表を端緒に、叶 芳和2「農業-先進国型産業論」などを掲げ「大きな農業」を主張する大農派と、篠原 孝3「農的小日本主義の勧め」などを持って「小さな農家」を語る小農派の論戦、加えて報道機関の「食糧-国家の選択-」など積極的な取り組みもあり、農業が社会的に注目を集めた特筆される時代でもありました。「規模拡大によるコスト削減」「複合化による単位面積当りの売上高及び利益の確保」といった主張に共通して「国際競争力のある農産物を提示するには農業者の自立が重要なポイントで、制度はこれを補完するものである」と語られ、「自立する農業経営の具現化」が農業者の課題となりました。

※1
武田邦太郎(1912年-)は1935年(昭和10年)、大陸侵攻15年戦争初期に鐘紡農林部の満洲での大農牧場建設経営に参加、戦後は山形県鳥海山麓開拓地に入植し、開拓農民協長を経験したのち、1961年(昭和36年)に新農政研究所に入所、農相顧問や田中内閣列島改造問題懇談会委員などを歴任し、戦後の自民党政府の日本農業の基本骨格作りに関与、1986年(昭和61年)に新たに武田新農政研究所を開設しました。1992年(平成4年)、参院比例区に日本新党から出馬、当選。1994年(平成6年)の新進党結成に参加せず無所属。1998年(平成10年)、政界より引退。「コメは安くできる、農家は豊かになれる」「日本農業前途洋々論」など。大農主義を掲げ、石原莞爾の信奉者。
※2
叶 芳和(1943年-) 評論家、総合研究開発機構客員研究員、拓殖大学教授。経済審議会、農政審議会等専門委員を歴任。「農業革命を展望する」「農業-先進国型産業論」「日本よ農業国家たれ」「農業ルネサンス」など。
※3
篠原 孝(1948年-) 衆院議員(民主党)。1973年(昭和48年)農水省入省、1989年(平成元年)農林水産省経済局国際部対外政策調整室長、その後OECD代表部参事官、水産庁企画課長、農林水産政策研究所長など経て退官。2003年(平成15年)衆院民主党比例区で当選、以後2005年(平成17)同再選、2009年(平成21年)衆院小選挙区(民主党)での当選。管内閣の農林水産副大臣、個別所得補償制度立案の柱として活躍。「農的小日本主義の勧め」「第一次産業の復活」など。

北海道農業者サロンは「自立する農業経営の具現化」に対応して「自分で創ったものを自分で売ること」を第一義に「農畜産物の新たな流通チャネルの確保」「農畜産物の高付加価値化を目指す、食材・食品の創出」を目指し、第二義として「自然と豊かな食に充ちた居住空間としての農地は、生活者主権時代に最も適合した商業地に生れ変る可能性を包含している」ことを念頭に、より多面的複合化「ファームイン、ファーム・レストラン構想」などの実現を計るため、農業者の橋頭堡たるべく初期の活動を開始しました。

この頃のスローガンは、いかに農業者が消費者に近付くかを旨としています。「私たちは皆さんと親戚付き合いを望んでいます」「私たち一次産業者こそ三次産業の担い手に」「農畜物ではなく、食品又は食品素材を提供します」「健康的生活の維持の根源に食があることを念頭においた生産体系の確立を!」など、ちょっと力んだ緊張感が懐かしく、日本フードサービス協会の会員各社、商業界ペリカンクラブ所属の各社との付き合いはとても新鮮で、刺激的な交流でした。2010年(平成22年)で22年、新農研期を加算すると28年の歳月、まさに「あっ!」という間の出来事に思われます。1996年(平成8年)、道新情報研 木村篤子君が簡略に纏めてサロンを紹介しているので以下に加筆し添えます。


小は大に優る

1980年代、戦後の農業近代化を推進した「大きな農業」の提唱者 武田邦太郎氏に、北海道を拠点とした新農研・北海道の創立を頼み、大規模農業の可能性を追求してみた。でも、現実を見るうち、どうもおかしいと思うようになった。大規模化を目指した農家は補助金頼みの借金だらけ、小規模な農家の方が多角化、複合化がし易く、ずっと健全経営だ。無駄な借金まで抱いた「大きな農業」では、北海道又は日本の農家は救われないと気付いて、農水省経済局国際部対外政策室長 篠原 孝君らが提唱する「小さな農家」の考え方に共鳴する仲間と勉強を始めた。畝の先端が見える農地で、大規模農業なんて出来るの!政治と農協に頼るしかないよね!結局、規模の大小より、農業者が経営者として自立できているかどうかが問題なんだろうと思う。大きくても、小さくても自立していることが大切。複合経営、専業経営、政勧経営(政府勧奨作物の生産中心経営)、兼業経営など経営形態も自由に、自らの責任で選択すればいい。そんなこんなの自立した経営者たちが雑多に共存し、連携することで地域の農業が強くなり、結果として北海道や日本の農業も豊かに強くなると考えた。

それを実践したくて、できたのがこのサロン。上下関係のない、「来る者は拒まず、去る者は追わず」、開かれた雰囲気の組織との意図からサロンと名付けた。

相手にするのは「農畜産物」ではなく「食べ物」

農業をビジネスと捉え、「自ら創ったものを自ら売る」付加価値の高い農業経営の創造を目的として、サロンは全道にネットワークを広げてきた。道東・道北・道南・道央の4ブロックに分け、年間3回程度、研修と交流のための会を巡回開催している。情報を共有するため、講演録の作成配布、資料の蓄積にも力を入れている。牛乳やチーズ、ソフト、ヨーグルトなどの乳製品や肉の加工品をはじめ、馬鈴薯、玉葱などの根菜や野菜、豆や餅、果菜を利用したジュース、ジャムやケチャップなど会員各様のオリジナル商品も多様化し、ネット・直売所から首都圏百貨店の物産展やら、独自の売り場の確保や大手外食企業との提携もあり、理想とするレストランやパン屋の直接経営まで、会員たちの動きは活発。納得のいく農畜産物を作って、さらに調理加工など付加価値を付けて、自分で売る。販路の開拓や商品開発に、サロンの人脈が大きく物を言っている。

ビジネス感覚3原則

自分で作って自分で売るといっても、自分が好きだから、得意だからと、ジャムなどの趣味の延長で自家製商品を作るのに一生懸命なホビー農業者も増えたけど、農業を楽しむのはいいが、経営者として真剣な自覚がなければいけない。例えば品質管理や衛生管理。無頓着な生産加工現場、委託加工で農場名を冠することだけの農業者もいる。人さまに買ってもらう商品なんだ、きちんと資本を投じて設備を整える覚悟が必要。「農家の手作り!」だから味も不均一でいいなんてことにはならないし、特別扱いや甘えは許されない。金を貰ったら商品だよ。ひょっとしたら新鮮さにカモフラージュされた直売所の農畜産物が一番危険と言えなくもないよね。

目指す商品3原則は「1. おいしい、2. 安い、3. 安全」。大手スーパーの経営方針のように、はっきりと消費者本位を打ち出すこと。「有機農畜産物だから高いなんて、おかしいじゃないか。より良いものをより安く。これなんだ!」。従来の農業者には希薄だった消費者本位の発想を強調し、それに妥協しないプロの経営感覚を磨くことが会員に求められる。食とは人を良くすること、食品とは3つの口を付けて三代にわたって人を良くすること。儲けるとはまさに信者をつくること。「望まれているものに応えていく。それを通じて生きている価値を見つけていくこと」、といった信念を持つこと。リスクに脅かされながら、手探りで進むサロン参画農業者が、互いに精神的に支え合うための活動や、会員の「若返り」、ネットワーク充実のための「ホームページの開設」など楽しみな今後も綴られている。

農業こそ、情報の担い手が不可欠

農業者たちは、地域に閉じこもりがちで、消費者から遠ざけられている。この情報過疎的状況から農業者たちを呼び覚まして、刺激を与え、企業家精神を養おうと叱咤し、成果を上げているのがサロンだ。ただ情報を供給するだけでなく、そこにはっきりした指針を掲げ、制度や慣例に縛られない自由な意見交換を促してきたところに、情報ネットワークのモデルとして着目すべき点がありそうだ。農政にも農協にも翻弄されない、たくましい個人農業経営者たちが繋がり合ったとき、消費者たちは納得して、地域の農畜物を見直すことになるのだろう。サロンの活動を見て、いま農業には、優れた情報の担い手こそ必要なのだと感じた。


別添サロンポスターは、第47回北海道酪農写真展推薦 八雲町 櫛桁真治さんの「おとなしくするんだよ」を、許可をいただいて仕上げたものです。共進会で牛を引く少女の凛としたまなざし、体勢を保つために引く力強い手、緊張感溢れる牛の眼。とっても素敵な写真で、サロンを擬人化すれば斯くありたいと願ったものです。ここ数年のスローガンは「ふるさと!あしたに望みを託して!」、活動のテーマは「国家に力を与え、耕している土地に価値を与えるのは、そこに住む個々人の体力や気力に他ならない。土地の価値はそこに住む人間の価値によって決まる」。生産物の付加価値を高めることは、なにも手を加えて加工することだけではありません。生産物の個性を生かすことがより大切です。化学肥料-本やりで田畑をなぶり、怯えながら薬を撒く。生産性向上は品質の確保が前提にもかかわらず、過剰な窒素や水を取り込んだ、しかも未成熟の馬鈴薯や玉蜀黍が「北海道の旬を送る」とパッケージされて流通に入ったり、直売所に並ぶことで北海道農業は救われません。

年一作、一世代25年、25回生産物を作った程度で、プロの農家と言えるわけがないことを、私たちは自覚すべきです。常に謙虚に自然から学ばなければ技術は向上しないことを念頭に、「それぞれの生産物の個性を生かし、生産した人間の人格をあわせもつ農畜産物の創造を目指す!」とした実践テーマの具現化に向けての情報、生産物や加工品の品質や衛生管理に関する技術情報など、不得手な商業知識を含め、それぞれの専門家の協力を得て商品に反映していきたいと考えています。

より多くの農業者が、本会に積極的に参画し、新しい北海道農業確立の担い手となるべく宜しくお願い申し上げます。

2010年(平成22年)10月1日
北海道農業者サロン
理 事 長  喜多 俊晴

ふるさと!あしたに望みを託して

国家に力を与え耕している土地に価値を与えるのは
そこに住む個々人の体力や気力に他ならない。
土地の価値はそこに住む人間の価値によって決まる。

それぞれの生産物の個性を生かし、生産した人間の人格をあわせもつ
農畜産物の創造を目指す。―― 北海道農業者サロン

事務局/TEL:03-3288-1888 FAX:03-3288-2555
冨尾泰正 坂井明美

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